はっさく大福 老舗店主の「挑戦と実行」

因島の恵みを包み、全国へ届ける“もち菓子”の物語

因島の魅力をお菓子で伝えたい――。

餅屋に生まれ、和洋の技を磨いた柏原伸一さんは、特産のはっさくを活かした大福を生み出し、地域の名物として育ててきました。さらに、Webサイトの導入で販路は全国へ。

伝統を守りながら挑戦を続ける柏原さんに、商売の原点と商品づくりのこだわり、そして地元、因島(広島県尾道市)への想いを伺いました。

因島産のはっさくを包んだ看板商品「はっさく大福」。地元だけでなく全国から注文が届く。
因島産のはっさくを包んだ看板商品「はっさく大福」。地元だけでなく全国から注文が届く。
ジンドゥークリエイターを利用
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もち菓子のかしはら 八朔(はっさく)大福
因島産のはっさくをさわやかなみかん餅で包んだ看板商品「はっさく大福」。広島だけでなく全国から注文が届く。
https://www.mochigashi-kashihara.co.jp/

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原点は、因島の餅屋に生まれた少年

因島の餅屋に生まれた柏原さん。“餅屋の息子”と言われることへの葛藤と、洋菓子への憧れが彼を職人の道へ導きました。やがて和と洋を融合させた「もち菓子」の礎が生まれます。

お名前を教えてください

「もち菓子のかしはら(株式会社かしはら)」の柏原です。

- 柏原さん、和菓子の道に進まれたきっかけをお聞かせください

柏原伸一さん
柏原伸一さん

私は戦時中に因島で餅屋を営んでいた父の息子として生まれました。幼い頃は周囲から「餅屋の息子」と呼ばれることに複雑な思いを抱えていました。その中で、洋菓子への憧れが強くなり、神戸の叔父のもとで技術を学びました。

故郷へ戻って和菓子にも携わるうちに、従来の餅屋に和洋菓子の良い部分を融合した「もち菓子」を追求しようと決意し、1965年に店名を「餅菓子の柏原」に改めました。この決断は、父の伝統を継承しつつ、新しい価値を創造するという強い覚悟の表れとなり、今の商売の根幹をなしています。

八朔発祥の地「因島」(いんのしま):広島県尾道市に属する「しまなみ海道」を構成する1つの島で八朔(はっさく)の発祥地。村上海賊のふるさととしても知られている。

挑戦から生まれた「はっさく大福」

因島名物を作りたいという想いから始まった、はっさく大福づくり。

ジューシーな果実と餅のバランスに悩みながらも、諦めずに挑戦を続けた3年間。その努力は、やがて全国に知られる名物へと育ちました。

-「はっさく大福」の開発経緯や反響について教えてください

因島大橋の完成後、観光客が増加する時期を迎えるにあたり、はっさく発祥の地である因島を象徴する土産を作りたいと考えました。けれどはっさくのジューシーさと餅・餡の食感のバランスをとることは非常に難しく、3〜4年かけて試作と改善を繰り返しやっと形になりました。

発売当初は地元農家の方から「みかんの島なのに、柑橘を餅菓子にしてしまうの?」とも言われましたが、私自身には「これは絶対に売れる」という確固たる自信があったんです。その後、多くのメディアや有名人に全国紹介していただき、一気に認知度が向上しました。

たわわに実る「八朔」

商品を通じて、印象的だった出来事はありますか?

私が作った大福が縁となり、出会ったお二人が結婚されたことです。さらに、その結婚式で引出物にまで使っていただけたことは忘れられません。
この経験から、商品を通して人の人生に寄り添い、幸せをつなげる役割こそが、和菓子屋としての大きな使命だと強く感じるようになりました。

季節ごとに変わる果実の“旬”を包む

柏原さんのもち菓子づくりは、柑橘ごとの“個性”を見極めることから始まります。

レモン・甘夏・いちごなど、四季折々の果実を最良の状態で包む工夫が込められています。

旬を楽しむための商品展開は、多くのお客様を魅了しています。

現在の主な商品について教えてください

代表的なはっさく大福を筆頭に、レモンや甘夏、ブルーベリー、栗、きくみかん、みかん、いちご大福など、季節や旬に合わせた豊富なラインナップを用意しています。各商品は、それぞれの果実の特徴を最大限に活かすよう調整を施しています。

たとえば柑橘類は、柑橘の持つほど良い酸味を活かし、生地や餡の甘さの比率に細かく工夫を重ねています。また、季節によって食感や味の違いを楽しめるのも特徴です。

ブルーベリー・栗などの大福は百貨店やお土産物屋では扱っていない。「近隣の方々に日常で食すもち菓子として、愛されるお店でありたい。」と柏原さんは語る。

安全性と手仕事─
守り続ける職人の誇り

もち菓子の製造現場では、衛生管理と手作業が何より重要。

HACCP基準を満たす設備や、作業ごとに手袋を交換する徹底した姿勢。

手間を惜しまない誠実な姿が、安心して食べられる味を支えています。

もち菓子作りで最もこだわっているポイントは?

もっともこだわっているのは、安全性、清潔な設備、そして素材の旬です。

私たちは一般的な菓子店では対応が難しい、HACCP(ハサップ)に準じた清潔な設備で製造しています。エアシャワーなど衛生管理を徹底した作業場で作っていることをぜひ知っていただきたいです。

※HACCP:食品の安全性を確保するための国際的な衛生管理手法

作業場の手袋も各作業で何度も取り替える。例えば素手だったら都度手を拭いたり・洗うのと同じように、随時の工程で手袋を交換するようにしているのだとか。

はっさく大福を包んでいるのは「みかん餅」。皮も食べられて種無しの「極早生」など品種を厳選し、果実と餅の食感や香りの調和を追求しています。
みかんもはっさくも、柑橘は季節により味が変わるため、その変化を楽しんでいただきたいとも考えています。

インタビューを行ったのは11月初旬。この時期の八朔はまだ皮が青い時期だが、この時期ならではの「若いはっさくの味」を楽しめるという。また大福に使うみかん餅のみかんも因島産。餅米も広島県産と因島と、広島の素材を大切にされている。

試作品として開発されたが市販されなかった変わり種商品はありますか?

はっさくの天ぷらやチョコレートをかけた大福など、斬新な商品も試作しましたが、必ずしも市場には受け入れられず、試行錯誤も多かったです。特に天ぷらのは味は良かったものの、馴染みのなさから売れ行きが厳しく断念しました。

たとえ失敗に終わったとしても、製品開発には欠かせない工程と捉えています。

因島のはっさくを守るために、
農家とともに歩む

はっさくの安定供給は簡単ではなく、生産者の高齢化も大きな課題。

だからこそ柏原さんは農家と協力し、長期契約や支援を通して生産を守り続けています。

「因島のはっさくを絶やしたくない」という熱い想いが原動力です。

原材料確保の上で最大の課題は何でしたか?

はっさくは収穫期も短く、農協の販売制限もあるため、安定した供給が容易ではありません。そのため、信頼できる地元農家と長期契約を結び、品質を守りつつ継続的に原料を確保しています。

採算性の関係で、農家がレモン栽培へ移行するなどはっさくの木を切る事例が増えていますが、私どもは適正価格で買い取ることで、生産者を守り、因島からはっさくが無くならないよう努めています。

農家の高齢化や減少を改善するため、耕作放棄地の再生や若手農家の支援に取り組み、将来は自社農園を持ち、農業法人も設立したいと考えています。

八朔の需要はうちが作る。だから八朔を作らないかー」時にはそう語りかけ、新たに八朔生産を始める農家さんもいるとか。柏原さん自身も休みの日には因島に赴き、畑仕事を手伝うことも。

旬を最優先するからこその「季節営業」

素材の“旬”を何より大切にする柏原さん。

あえて夏場に休業するのは、鮮度や品質を妥協しないための選択です。

お客様に本当においしい旬の味を届けたい、その信念が営業スタイルに表れています。

品質管理での苦労や、季節営業にこだわる理由を教えてください

餅の食感や果実のフレッシュさにはばらつきが出やすく、安定した商品作りが難しいのです。ですが、安全性だけでなく旬の味として鮮度を大事にするという意味でも、保存料は使用せず賞味期限は3日内としています。これは、美味しいものを届け、安心して口にしていただきたい、という思いがあるからです。

夏場には数ヶ月休業するとも伺いましたがなぜですか?

夏場(8月上旬〜10月)に休業するのは、缶詰や砂糖漬けの加工品を一切使用しないという品質への強いこだわりを貫くためです。旬の生の「はっさく」の供給が途絶える時期は、潔く店を休む判断をしています。

この休業は、もともと体が弱かった家族の療養のために始めたことですが、それが「原材料の旬と安全性を最優先する」という理念と重なり、現在の営業スタイルとして定着しました。この季節休業があるからこそ、お客様に新鮮な季節の味を楽しみにしていただけると考えています。

70代から挑んだWeb活用─
全国へ広がった販路

70代で本格的にWeb運用を開始した柏原さん。

ジンドゥーへの移行でサイトが見やすくなり、販路は広島から全国へ。

百貨店取引や楽天市場での大量注文など、デジタルが商売を大きく変えました。

サイトが必要だと思ったきっかけは?

かつては口コミ、そして電話でのみ注文を受けていましたが、それでは販路拡大に限界を感じていました。60歳を過ぎた頃パソコン教室に通い始め、自分の必要な情報をウェブで調べるという経験を通じて、「これからはサイトが必要だ、ビジネスにも使える。」と考え、その頃はジンドゥーも知らなかったので、独学でホームページの作成を調べて作りました。

ジンドゥーを使ったきっかけは?

最初に作ったサイトは操作が複雑だったり、他店の情報にアクセスが流れやすいなどの問題を感じていました。そこで相談した印刷会社がジンドゥーを知っていたことがきっかけです。

- ジンドゥーに切り替えて、何か変化はありましたか?

サイトをジンドゥーに切り替えてからは、操作が直感的で分かりやすく、デザインやスマホ対応も向上しました。これによりお客様の反応が一変し、全国的な販路拡大を実現しました。

ジンドゥーは豊富なテンプレートやSEO対策が施されており、サイトの閲覧数が飛躍的に伸びました。スマートフォン対応が充実したことで、どこからでもアクセスしやすくなり、若い世代からも好評です。

最も大きな効果は、これまで取引が難しかった大手百貨店や大きなスーパー、土産店との新たな取引が開始されたことです。

ウェブサイトは、これまで届かなかったお客様との接点を増やし、販路の拡大に直結しています。ウェブを通じてお応えできないのではと思うほどの注文が入ったこともありました。

ホームページではFAX注文を中心。そのほか楽天市場でも注文を受け付けている。

- すごいですね。大量注文の際はどのようにされていますか?

楽スタッフの増員とオペレーター体制の強化に全力を注ぎました。
配送管理や在庫システムのIT化も進めながら、どんな注文にもできるだけ迅速に応えられるようにしています。

ウェブ運用において日々工夫していることは何ですか?

地域の旬の素材情報やスタッフの日常をブログでこまめに伝え、訪問者に親近感を持っていただけるよう努めています。写真の撮影も自ら行なっており、サイトに温かみを加えています。また、家族やスタッフと連携して更新頻度と内容を高める努力をしており、ウェブサイトを単なる宣伝ではなく、ブランドの顔として活用することを目指しています。

お知らせなどはご自身で更新しているという柏原さん

お知らせなどをご自身で更新しているという柏原さん。

時代が変わっても、
変わらない“挑戦し続ける姿勢”

73歳で広島市内へ移転するなど、大きな決断をしてきた柏原さん。

時代が変わっても、「変えるべきこと」と「変えない価値」を見極めながら進んできました。

その姿勢こそ、商売を続ける上での大きな学びです。

時代の変化で商売に起きた一番大きな影響や学びは?

従来は口コミ中心で地元に根差していた商売が、ウェブとデジタルツールの活用によって全国規模へと拡大しました。これはメディア露出や口コミを加速させる大きな要因となりました。

特に著名人の「都会へ出なさい」というアドバイスをきっかけに、73歳で広島市内へ移転するという大きな挑戦をしたことが、商売の転機となりました。
地域の伝統と素材へのこだわりがブランドの核であると再認識するきっかけにもなり、変化に対応しながらも、不変の理念を守り続けることの大切さを学びました。

現在は広島県内を中心に数多くの店舗で取り扱われている。(取材時のホームページより)

自社農園と次世代へ─
柏原さんが描く未来図

はっさくの安定供給、農家支援、若手育成。

そのすべてを叶えるために「自社農園」「農業法人化」を目指しています。

地域の未来を背負う覚悟が、柏原さんの次なる挑戦です。

未来へ向けた夢や目標を教えてください

自社農園を設立し、原材料を完全に自社コントロールしたいと考えています。農業法人を立ち上げ、最新技術を導入した安定的かつ高品質な栽培方法を確立することが目標です。これにより地域の農業活性化や雇用創出にも寄与できればと思います。

加えて次世代への技術・精神の継承にも注力し、社員や家族と共により良い企業体を目指していきます。

若い人へ伝えたい、
“身軽に挑戦する生き方”

柏原さんの言葉は、若い世代にも通じる普遍的なメッセージです。

「恐れずやってみる」「合わないものは手放す」「楽しいことを考える」。

挑戦と前向きな生き方こそが、長く商売を続ける秘訣なのだと気づかされます。

若い人たちに伝えたいことは?

恐れず多くのことに挑戦し、合わないものは潔く手放して身軽になることが重要」だと話しています。また、「考える時間はない。良いと思うことはすぐに取り入れ、それから判断すればいい」。人に任せて自由に動くことで仕事も人生も豊かになっていく。失敗を恐れず、機動力を持って挑戦を続けることの大切さを伝えたいです。

ところで柏原さん、健康や長寿の秘訣はありますか?

楽しいことを考え、若い人たちと笑うこと」です。
常に前向きでいること、そして「自分が最後まで残って同級生のすべてを締めくくる」という強い使命感を持って生きることが長寿の秘訣だと自覚しています。

まとめ

因島を愛し続け、挑戦を続ける“もち菓子職人”の現在地**

因島の素材と生産者を守りながら、伝統と革新を両立させる柏原さん。

その姿は、地域の未来をつくる“ひとつの生き方”でもあります。

はっさく大福のやさしい甘さの裏側には、挑戦・継承・実行の物語が息づいています。

因島を愛し、挑戦を続ける“もち菓子職人”の現在地

今回のインタビューを通じて、柏原さんの和菓子づくりに対する熱い思いが伝わりました。73歳での挑戦や衛生管理の徹底、生産者との絆を大切にする経営哲学は、商売のあり方を示しています。

地元因島の特産品を活かした「はっさく大福」は、ウェブサイト活用によりさらに販路を全国に拡大。「挑戦と継承」を若い世代に伝える柏原さんの姿勢は、伝統と革新、地域とお客さまの絆を未来へつなぐ指針となるでしょう。


もち菓子のかしはら 八朔(はっさく)大福 発祥のお店

株式会社かしはら 広島県広島市西区13-20
https://www.mochigashi-kashihara.co.jp
※注文・営業時間などの詳細はサイトに掲載


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